2014年10月9日木曜日

マイウェイ MY WAY



マイウェイ MY WAY
シンガーソングライター、ポール・アンカがシャンソンに英語の歌詞をつけた<MY WAY マイウェイ>は「私の道」ではない。「わたしのやり方」だ。

和製英語に慣れ親しんだ身にはつい「私の道」が横切る。
この違いを正確にとらえていないと、セックスピストルズのベーシストのシド・ヴィシャスが歌った<MY WAY マイウェイ>の意味が怖いくらいに全く違ってしまう。

マイ・ウェイ
そしていま終焉も近づき

私は最後の幕に向かう

友よ、君に伝えたい

自信をもって伝える

充実した生涯をおくり

どんな道も通ってきた私だが

けれど何よりも、それ以上に

自分なりのやり方で生きてぎたと



後悔、もちろんいくつかある

しかしあえて言葉にするほどはない

やるべきことは全て
誰の力も借りずにやりとげた

一つ一つ計画をたて
一歩づつ慎重に歩んでぎた

けれど何よりも、それ以上に
自分なりのやり方で生きてきたと



そう、確かに時には

己れの力以上の事をこころみた

しかし迷いがあっても

もがき、苦しみ
立ち向がい、誇りを失わず

目分なりのやり方で乗り越えた



人を愛し、笑い、泣きもした
みたされ、別れも味わった

悲しみも癒えたいま

目分目身に驚いている



たくさんの事を経験してきたのだと

恥ずかしがらずに
私らしく堂々と
云おう
、自分なりのやり方で生きてきたと



男とは何を持っているのだろう?

自分以外には何もない
他人の言葉ではなく
己れの感じるがままを述べるべき
軌跡が証明する、私は正しかったのだと

自分なりのやり方で生きてきたと

軌跡が証明する、私は正しかったのだと

自分なりのやり方で生きてきたと

MY WAY

And now the end is near
So I face the final curtain
My friend l'll sav it clear
l'll state my case of which l'm certain

l've lived a ife that,s full
l've traveled each and every highway
And mare much more than this
l did it my way

Regretsi I've had a few
But then again, too few to mention
l did what I had to do
And saw it through without exemptian

l planned each charted course
Each careful step along the byway
Oh, clnd more, much more thon this
l did it my way

Yes there were times, l'm sure you knew
When ! bit off more than I could chew
But throvgh it all when there was doubt
l ate it up yeah and spit it out
l faced it a:1 and I stood tall
And did it my way

l've loved. I've laughed and cried
l've had my fill,my share of losing
And now as tears subside
l find it all so amusing

To think I did all that
And may I say, not in a shy way
Oh no, no not me
l did it my way

For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has not
To say the words he truly feels
And not the words the world reveals

The record shows I took the blows
And dld It my way
The rocord shows I took the blows
And dis it my way


その実像がどうであれ自分の支えになったミュージシャンの「わたしのやり方」とは思えない死は、ぽっかりと穴のあいた悲しみに通じる。
もう待ちわびるものがない空虚が悲しい。

特に突然に、予期しない形で、しかもあり得ないと思うミステリアスな別れ方は、痛みも大きくその分支えの大きさもより大きく感じる。

ZARD(ザード)というユニットの作詞・ボーカルを務める坂井泉水というミュージシャンの訃報がメディアから飛び込んできて、そういえばと、エルヴィスと複数のロッカーたちを思い出させる。


コンサートで観たといっても、「会った」とはほど遠いこと。
もともと会ったことがないのだから死のうが、スキャンダルで消えようが物質世界の次元で考えたら同じことだ。

だがもともと支えという精神界の次元のことだから、そう割り切れるものではなさそうだ。
ただそれが行き過ぎると自他境界の脆さを露呈するかのようで不気味でもある。
自分も肯定できなければ他人も肯定できない閉塞感が痛い。

記者たちを前にしたインタビューで「イメージのようには生きていけない」と語っていたエルヴィスの健全さが懐かしい。
だから派手なジャンプスーツを着てステージで躍動を可能にした。
そして、自身の唄にあるように、TOO MUCH なにかにつけてやり過ぎた。
驚きのまま映像のエルヴィスは<マイウェイ>を歌う。 映像はそのままモノクロの若いエルヴィスに転調する。
音は<マイウェイ>が続いている。時の経過をいやでも感じさせる。

それはエルヴィス、あなたのやり方だった。
そして受け入れられないことを受け入れる覚悟をして、受け入れるすべてを受け入れて立っている姿こそ最も美しいエルヴィスのように思える。

それは奇異であり、慈愛であり、献身であり、感謝だ。
人生の外的な要素をいじるだけでは人は幸福になれない。
エルヴィスは叡智の必要にひとりでたどりつき最後に知っていた。
エルヴィス、あなたのやり方で。
クロージングに歌われた<マイ・ウェイ>・・・総立ちの観衆の熱狂的な歓声と鳴り止まぬ拍手を最後にステージを去った。

エルヴィス・プレスリーには野心がなかったという声がある。
世界一のセールス枚数が野心そのものではないのか。
音楽は頭で考えるものではなかったか。
野心とはなんだろう?
疑問は、疑問は・・・<わたしのやりかた>の歌声のなかに消えていく・・・。



エルヴィス・アロハ・フロム・ハワイ



エルヴィス・アロハ・フロム・ハワイ
ELVIS ALOHA FROM HAWAII VIA SATELLITE

全世界36ヶ国にリアルタイムで
癌基金のチャリティ・コンサートを放送。
前人未踏「15億人が同時に観た」という事実。

『世界初。衛星中継はエルヴィスから始まった』



エルヴィス・アロハ・フロム・ハワイ

73年1月14日、午後12時30分にスタートさせたステージ。深夜になったのは世界の時計を見た上でのスタートで丁度日本では日曜日のゴールデンアワーになった。

エルヴィスプレスリーが民間人として初めて宇宙中継を使って全世界36ヶ国にリアルタイムで見せた渾身のステージは、さすがのエルヴィスをもってしても緊張は隠せず、完成度は高いと言えないが、特別なオーラに満ちていた。

<ELVIS ON STAGE>の中にトム・ジョーンズからの電報をエルヴィスが読み上げる場面が挿入されている。

当時日本でもトム・ジョーンズのショーが毎週テレビ放映されていて、そのワイルドなパフォーマンスはバンド全盛の時代に<想い出のグリーングラス><最後の恋>などをヒットさせ、ひとり気を吐いていたように記憶する。

<ELVIS ON STAGE>を最初に観た時、すごい衝撃を受けたことは当然だが、ある違和感も感じた。「エルヴィスがトム・ジョーンズになってしまった?」という思いだ。違和感はひとときで、まぎれもなくエルヴィスだけの空間がそこにあることを思い知らされた。


最後にOKサインを送ってくれた時には、やたら嬉しかった。

それにしても「エルヴィスがトム・ジョーンズになってしまった?」という思いは私だけだっただろうか?68年のテレビスペシャルは明らかに50年代のエルヴィスだった。そのアクションがまったく変わってしまっていたのだ。


1973年1月14日午前0時30分、公的なものは別として、世界初の衛星中継が全世界が向けて行われた。ホノルルにいるエルヴィスがテレビ画面に現れたを観て「存在感がすごい!」と感じた。頭がそれでいっぱいになった。

ビートルズも観た、トムジョーンズも観た同じテレビ画面で観るエルヴィスは『比類なき存在感のすごさ』だった。とにかく大きく感じた。異様なまでの存在感だった。

ひとりの人間があれほど大きく感じたことは後にも先にもない。いま「カリスマ」という言葉が氾濫しているが、正真正銘の「カリスマ」とはこのことだろう。

トムジョーンズの身のこなしに似ているのことへのわだかまりが、完全に消え去っていた。比較したことが間違いだっだ。ホントに凄かった。


このパフォーマンスは決してそのキャリアの中ではベストなものではない。それでも凄かった。
私は「そして今は」を「フィーバー」を歌うエルヴィスには違和感がある。


それでもこのハワイのビデオで「そして今は」を観てると知らない間に、目頭が熱くなるし、「フィーバー」を歌う姿に誠実さを感じて知らない間に和んでしまっている。

エルヴィスとひとくちに言っても、いろんなエルヴィスがあって、人それぞれに楽しみ方も違う。どれがいいも悪いもない。

いま日本ではエルヴィスを登場させたラーメンのCMが放送されている。アメリカではそっくりさんが多くのCMに出てきてTHANKYU VERY MUCHとやってはいるが、本人をCMに登場させたの日本だけでしょう。

ナニはともあれエルヴィスの映像が流れてくるのは楽しみではあるが、正直いって自分自身個人としては、エルヴィスの一生懸命が、このような形で使用されることが切ない。ピカソの絵をスーパーのチラシのイラストに使うのと同じような気がするのです。

かってハリウッドがエルヴィスさえ出てたらストーリーなんてどうでもいい、「損益分岐点」だけにしか興味がない連中にいいようにやられた悔しさと危惧が脳裏をかすめるのです。
誤解されると困るのですが、あくまで一個人の思いなので、楽しんでいる方は楽しンでいただくといいのです。


それにあのCMに悪意があるわけでもないし、エルヴィスを知らない世代にはエルヴィスに関心を持つ機会になるでしょうし
「全世界36ヶ国にリアルタイムでライブを放送。15億人が観た」という事実。「世界初。宇宙中継はエルヴィスから始まった」という人類の歴史としての事実を伝える機会としてエルヴィスをアピールしたいですね。

あの時、地球という空間を飛び交った<KING OF THE ROCK'N' ROLL>だけが持ちえたきらめきが確かにあった。それをこのアルバムは必ずしも伝えきれていないもどかしさがあるものの、「衛星中継」という最先端の技術をアメリカが誇るアメリカ音楽界最強の巨星を使って世界に披露したという歴史を正当に評価してほしいのです。



<I'LL REMEMBER YOU>を歌うエルヴィスがバンドの連中に投げかける笑顔、<アメリカの祈り>を歌うときに汗が涙のように一筋流れる瞬間などなど、表情のひとつひとつに、全世界を相手にエルヴィス・プレスリーという看板をたったひとりで背負って、命がけで歌っている男のきらめきが宿っていることを再検証しましょう。




Introduction: Also Sprach Zarathustra 
        (Theme From 2001: A Space Odyssey Theme)
2. See See Rider 
3. Burning Love 
4. Something 
5. You Gave Me A Mountain 
6. Steamroller Blues 
7. My Way 
8. Love Me 
9. Johnny B. Goode 
10. It's Over 
11. Blue Suede Shoes 
12. I'm So Lonesome I Could Cry 
13. I Can't Stop Loving You 
14. Hound Dog 
15. What Now My Love 
16. Fever 
17. Welcome To My World 
18. Suspicious Minds 
19. Introductions By Elvis 
20. I'll Remember You 
21. Long Tall Sally / 
Whole Lotta Shakin Goin' On 
22. American Trilogy, An 
23. Big Hunk O' Love, A